平和への祈りを
JUGEMテーマ:読書
いままでいろいろな戦争絵本を見てきましたが、これほど切ない絵本はほかにないといっても過言ではないかも知れません
それほど、悲しさがこみあげてくるお話でした。
舞台は満州。
親兄弟と戦争で死に別れた子どもたちがいました。住む場所もなければ食べるものもなく、痩せてぼろぼろになった子どもたちが、当時収容所として利用された学校に寝泊りをしておりました。
親兄弟と死に別れた子供は、決して珍しい存在ではありません。たくさんの子供たちが孤児となり、発疹チフスが広まって、約半数の人が死んでしまっておりました。
生きている子どもたちも元気ではありません。食べるものがなく、頼みの綱は
2週間に一度来てくれる炊き出し。優しい炊き出しのおじさんに会えることも、子どもたちの生きる希望となっておりました。
炊き出し、とはいっても贅沢な物ではありません。おかゆをあき缶一つずつ。それも順番に並んでもらうので、最後のほうになると水を足して重湯になってしまう、そんなお粥でしたが、それでも子どもたちには大変なご馳走でした。
お母さんが生きていて幸せだったころ、お母さんが炊くご飯の香りを思い出すようないいにおいがしました。
そこにおかゆをもらいに行く4人の孤児たちがおりました。
どの子も栄養失調で、どの子も元気ではありませんでした。
下痢が止まらず、いつもおしりの周りがぬれたまんま。ひどいにおいで周りの大人からも近づくなとののしられる子。
痩せているようには見えないけれど顔がパンパンで青白く、明らかに病気であろうと思われる子。
足首を片手てつかめるほど痩せている子。
もはや歩くこともできず、冷たい廊下を這って歩く子。
4人の孤児たちも、おじさんの炊くおかゆを心待ちにしていて、炊き出しの日には待ちきれないというように何度も様子を見に行って、配り始めるころには、缶を持ってピョコタン、ピョコタン、と力なく歩いてもらいに行きました。
本人たちは喜び勇んで走っているつもりなのです。走っているつもりでも、力がなく栄養失調の体では、アヒルのようにピョコタン、ピョコタン、となってしまうのです。
おいしいおかゆをいただきながら、孤児たちはおじさんへの感謝の気持ちを抱きます。
自分たちはもう長く生きられないことを残酷なほどに自分たち自身でよくわかり、お礼の気持ちをどうやっておじさんに伝えようかと相談しながら食べるのです。
そして炊き出しは終わり、痩せて力のない体で、孤児たちはまた2週間後を待たなくてはなりません。
おじさんは、子どもたちの衰弱をみて涙を流しました。
それでも、2週間後、また子どもたちに会えることを祈りながら戻って行きました。
そして2週間後、子どもたちは・・・
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戦争は、残酷だということを、頭ではわかっていても、これほど心にも体にも残酷を極め、まだ幼い子供たちの生きたいという願いをもぎ取ってしまうものだとしり、心に強烈に突き刺さるものがあります
想像を絶する悲しい孤児たちの暮らし。「痩せてくれば死ぬ。」「這うようになればもうすぐ死ぬ」というわかってしまうことの悲しさと、その通りに現実になることの残酷さ。
できれば少しでも、願いや希望のかけらでも実現して、生き延びてほしかったけれど、
それがかなわなかったのならば、お空のきれいなお星様になってほしいと願いがこみあげてくるお話です。
小学生以上におすすめです。
ぜひ読んでみてくださいね。
- 2010.11.16 Tuesday
- 平和・戦争
- 22:27
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- by atu
図書館で、探してみてくださいね。
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